はじめまして!やねいろはインターン生のエバラです!
大学で歴史を専攻している私が、今回ご紹介するのは「屋根の歴史」です!
皆さんは、屋根の歴史について考えたことはありますか?
身近すぎる物の歴史って、あまり気にしませんよね。
ということで、今回は、草類を材料とする草葺き(くさぶき)、土を原料とする瓦、そして銅などの金属を使用した屋根がいつから使われ始めたのか、調べてみました。
まず、草葺きの歴史からご紹介していきます。
草葺きとは、茅(かや)、稲などの草類を材料にした屋根のことで、日本ではもっとも古くから使われていました。
そのなかでも茅を使用した茅葺き屋根は、とくに民家で使われており、皆さんも昔話の絵本等の歴史創作物で見たことがあると思います。
そんな草葺きの屋根ですが、なんと縄文・弥生時代の住居から使用され始めていたそうです。
教科書に載っているような竪穴住居はほとんど屋根だけのような外観ですが、その屋根は茅葺きでした。
その屋根が、日本の気候上たくさん降る雨だけでなく、電気の存在しない真っ暗な夜の恐怖からもしっかり守ってくれていたことは、想像するに難しくありません。
人々の文化的な暮らしの根底を支える住居、その始まりは屋根だったのです。
次は、瓦屋根の歴史を説明していきます。
瓦は『日本書紀』によると、六世紀に仏教とともに伝わってきました。
日本は三世紀ごろから渡来してきた朝鮮の人々と交流をして、金属や文字をはじめ、中国の文化を輸入してきました。
そういった朝鮮の人々と結びつきのあった当時の豪族、蘇我氏。
彼は本格的な仏教伝来の受け皿となって、飛鳥寺を建立しました。
これが、瓦で屋根を葺いた日本で最初の伽藍(寺院)になります。
これ以降、日本では草葺きの一種である檜皮葺とともに、瓦葺きの寺院が全国各地に建立されていきます。
奈良・平安の貴族文化や、戦国時代の城郭などで瓦はどんどん進化していきますが、民家で初めて瓦葺きが確認されるのは、江戸時代に入ってからでした。
1601年の江戸火災後に、板葺きによる屋根が禁止されたのち、滝山弥次郎兵衛という人物が通りに面した部分だけ瓦を使用しました。
それが町民の間で評判になっていることを知った幕府は、奢侈禁止令(しゃしきんしれい、贅沢を禁止する法律)として瓦屋根を禁止にしました。
その後、1657年にもう一度大火があり、防火対策として草葺きの屋根に牡蠣や土を塗ることが命じられましたが、それもほとんど意味がなく定着しませんでした。
結局、軽量廉価の新しい瓦が開発されたことにより、幕府は、1720年に瓦屋根が許可し、以後防火対策として奨励していきました。
現在の瓦は、耐火性の高い屋根素材として重宝されていますが、その定着の起源には火災があったのですね。
それにしても、瓦が日本に伝来してきてから民衆に定着するまで1000年以上かかった、というのはとても歴史を感じさせます…!
最後に金属を使用した屋根の歴史をご紹介したいと思います。
金属系というかなり広い範囲で言うと、765年造立した奈良・西大寺に銅瓦葺きの記録がありますが、その使用法は全く不明だそうです。
その後、正式な記録が残っているのは1610年の駿府城天守で、それが銅瓦葺きの始まりとされています。
また、鉛を使用した鉛瓦葺きの建築も石川県の金沢城などで同時期に確認できます。
従って、金属屋根自体は、明治維新以前からも日本に存在していたと言えます。
とはいえ、金属は高価で、しかも取り扱いが難しかったため、お城や大寺院など限られた範囲でしか使われなかったようです。
その後、明治維新が始まると、ヨーロッパ・アメリカから鉄筋コンクリート作りの建築が輸入され、コンクリートやスレートの平らな屋根材が日本でも登場してきます。
さらに、銅板や鉛板、鉄板などの金属板も同様にして入ってきました
。
しかし、当時これらの金属板は、値段自体が高かった、すぐ錆びるなどの理由で、スレート葺きの補助としてしか使われなかったそうです。
まとめると、金属板が一般的な住居の屋根で、どれほど定着したのかについてはあまり記録が残っていませんが、ひとまず明治維新が金属系屋根の画期だったことは言えそうです。
以上、屋根を三つの素材に分類し、その始まりと簡単な歴史について触れてみました。
身近なものがとても長い歴史があると、なんだか愛着がわいてきますよね。
皆さんも、屋根がたどってきた1000年の物語に、思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。
参考:
原田多可司(2004)、『屋根の日本史 職人が案内する古建築の魅力』、中央公論新社、pp.1~41,128~144,181~192
同(2003)『屋根 檜皮葺と杮葺』、法政大学出版局、pp.22~30
平井聖(1973)、『屋根の歴史』、東洋経済新報社、pp.69~72,80~82,123~164,148~155,166
永原慶二、山口啓二(他編)(1983)、『講座・日本技術の社会史7 建築』、日本評論社、pp.214~215,285~287
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